七月、大阪で河村盛明・丸井茂仁らにより「フェニキス」創刊、協力する。という記述がある。この「フェニキス」と高安国世との関わりも、疑問に思っていることの一つである。
「フェニキス」は井上美地さんを中心とした綱手短歌会のメンバーの手で、全29冊 (昭和22年7月〜25年2月)の復刻版が出ており、今でも手軽に読むことができる。「フェニキス」という誌名が斎藤茂吉の
灰燼の中より吾もフエニキスとなりてし飛ばむ小さけれどもから取られていることは、毎号この一首が巻頭に掲げてあることからもよくわかる。
さて、その「フェニキス」であるが、どこを探してみても高安の歌もなければ文章も載っていないのである。84名の名前と住所が載っている同人名簿(18号)にも、高安の名前はない。この点、毎号のように歌を載せていた「ぎしぎし」とは全く違う。年譜に記された「協力」とは一体何を意味しているのだろう。
「フェニキス」には第二次「フェニキス」(12冊)というのもあり、そちらは未確認なのだが、少なくとも昭和22年創刊の第一次「フェニキス」に高安国世が関わっていた形跡は見つからない。
高安は少なくともフェニキスの創刊には関わっていないですよね。
「フェニキス」第二期(昭27〜)、手許にありますが、
ここにも高安はかんでいません。
一度年譜などに載ると、それが何度も引用されたりして、
「事実」になってしまうことがありますね。