スマートフォンが普及してきて(僕は持ってませんが)、歌会中に見慣れない言葉をネットで調べることができるようになった。辞書に比べてネットの情報量は圧倒的だ。作者の造語以外のものは、ほとんどすべて調べることが可能になったと言っていいだろう。
それは、もちろん便利なことだし、歌会で迷走していた読みを一つの方向に導くものでもある。僕自身、家で歌集を読みながら、わからない言葉をネットで検索することがしばしばある。
ただ、どうも気になるのだ。
歌会でネットを検索することに違和感を覚えるのである。言葉の意味が判明すると、それでみんな何か「わかった」ような気になるのだが、本当にそうなのだろうか。いつもそんな気持ちになる。
「この言葉は知らないのだけど、音の響きがとっても面白い」とか「たぶん地名じゃないかなあ」「いや、商品名でしょう」とか、そんなことを言い合う時間が、実はけっこう大切だったのではないかと思うのだ。それは一見無駄なようでいて、豊かな時間である。
人と歌との出会いは一期一会だ。特に歌会という場ではそうだろう。これは自戒をこめて書くのだが、初めて出会う歌に素手で立ち向かう気持ちを、いつまでも忘れないようにしたい。
いつでも、ネットで調べますね。
便利ですね。特に外来語なんだ。
私は…今夜大変納得しながら読みました。
音楽でも同じ現象で…Youtubeですぐにほしい音ネタには出会えますが想像力・イメージ力の低下は著しく…昔は膨大な視聴の中からでしたから…
昔、郷ひろみさんのヒット曲に「会えない時間が愛を育てるのさ…」という歌詞があったんですが(笑)…「素手で立ち向かう気持ち」大切にしたいし、大切に伝えたい!!と再確認しました。ありがとうございます。
この5年間で、ますますネットへの依存は強まって「想像力・イメージ力の低下」が進んでいる気がします。
また、歌を詠む際にも「どこかにありそうな架空の地名」を使ったりするのが難しくなりました。何でもわかってしまうというのは、味気ないことかもしれません。