「短歌」11月号の角川短歌賞の選考座談会を読み直していて、気になった作品があった。座談会で議論されているだけで50首全部は読めないのだが、取り上げられている歌に類似歌が多いのである。(●が応募作)
●ぱんぱんと烈しく妻が布団打ついやいや布団じゃないかも知れぬ
力まかせに布団をたたく音がする、いや布団ではないかもしれぬ
/松村正直歌集『やさしい鮫』(2006年)
●よろこんで踏まれてやろうこのままじゃ来世はきっとキャベツだろうから
よろこんで食われてやろうこのままじゃ来世はきっと植物だから
/山田消児「僕の実験」 「遊子」第13号(2006年5月)
●自販機に押し返される千円札 いじになってる愛かもしれず
自販機に押し返される千円札 君の彼への愛に似てるね
/妹尾咲子歌集『アポヤンド』(2003年)
座談会で米川千嘉子さんが「安定している分だけ既視感があるんかなぁ」と発言しているが、確かに他の歌もどこか見たことがあるようなものが多い。しかも、一首一首の歌の傾向がバラバラで、とても同じ一人の作者が生み出した歌とは思えない。
なぜにこのような作品を作者は作るのか。不思議であるとともに情けない。これは真の創作の喜びを知らないからこのようなものをつくるのだ。文学・芸術の創造を知らない、世の人々はこのような罪悪を許してはいけない。
よく気づかれましたね。さすがです。
それに、布団の歌は自分でも気に入っているものなので、黙っていられないという思いがあります。