短歌関係の文章を書いていて、いつも思うこと。
調べものをして何か新しい発見をした時など、自分ではワクワクするし、誰かにそれを伝えたいと思う。でも、その興奮を文章で伝えるのは意外と難しい。文章を書くと、それが「もともと知っていたこと」のようになってしまうからだ。
譬えて言えば、自分で調べたり考えたりしている時は、算数の問題を解いている感じであるのに対して、それを文章に書くと、検算をしている感じになってしまうのである。生きている魚と死んだ魚の違いと言ってもいい。ワクワク感が消えてしまうのだ。
もっと文章の書き方を工夫しなくてはいけないのだろう。
自然に生まれいづることをたっとぶ。書いてゆくときいろんな一会が
ありワクワクの創作が生まれる。大意を念頭にして精妙な細部は神の
恩寵にゆだねたい。
評伝、論文、となるとどうしてもそうなりますね。
「岡井隆と初期未来」は、ドキュメンタリーみたいに書いたので
楽しかったです。
「高安国世の手紙」も、ちょっとドキュメンタリーぽいところ
ありますね。
「岡井隆と初期未来」は、書いている方の楽しさが、そのまま読む方の楽しさとして伝わってきますね。その一つの鍵が「ドキュメンタリーみたいに」という点にあるのだろうと思います。
リアルタイムな臨場感を出すにはどうすればいいのか、これはたぶん文章だけでなく、歌を作る際にも同じ問題があるような気がしています。