第23歌集。
題名は世阿弥作の能「桜川」の中の文句とのこと。あとがきに次のように記されている。
本来この題名は、今は亡き河野裕子さんが何番目かの歌集を編まれた時、「もう青春ではないしなあ」と相談されて、ふと口をついた詩句だったが、若い河野さんには少しさびしすぎた。それを私が使うことにしたのである。私のような年齢の者にとってはこの言葉は過ぎた時代や時間への回想も含めて感慨深いものがある。口語を取り入れた日常的で親しみやすい歌と、文語の伝統や品格を感じさせる歌とがバランスよくまざっている。自らの老いを詠んだ歌も多く、全体に静謐なさびしさが滲むような印象を受けた。
人工のレンズ眼球に入り来たりすずしくて青き裏富士立てり2011年9月25日、角川書店、2800円
見ちやいけない春のおへそを少しだけ見せてあゆめるをとめのわらひ
桜みる人に紛れて探偵がゐてもいいならなりたいわたし
髷結ひし侍も侍女もよく見ればピアスの穴を耳にあけゐつ
わが町のまろん通りの玉子やの猫は静かに降る雨を見る
頼政の面は頼政かけるのみ七十に余りなほもたたかふ
雪の奈良どこへも行かず見る雪にかすむ塔あり昏るる池あり
蓮枯れてきたなき池と思ふとき結婚しようと誰かささやく
江戸城に鶴の吸物賜はりし地謡方の末も絶えたり
あの人も鬱になつたと語り合ひお先にと夜のでんしや降りゆく