副題は「新しく生きる時間へ」。
老いの歌が持つ豊かさや超高齢社会において短歌が果たす役割について、具体的な作品を挙げつつ論じている。その前提として、短歌が他のジャンルに比べて最もよく老いのありようを伝えているという著者の発見(?)がある。
一口に「老いの歌」と言っても、一つには茂吉の『つきかげ』に見られるような歌をどう評価するかという問題があり、もう一つには新聞や短歌大会に投稿する高齢者の歌を短歌の中でどのように位置づけるかという問題がある。
いくつか印象に残った言葉を引いておこう。
短歌は、作者名も作品の一部である。
短歌は文学である。しかし、文学でもある(原文「でもある」に傍点あり)という側面は大事なことだ。
俳句には人間の時間を超えようとする傾向がある。しかし、短歌はあくまで人間の一生といった限られた時間に執着する。こうした見方に私も基本的には賛成なのだが、ここまで断言してしまって良いのかという危惧もある。ただ、老いの歌の問題を考えるうえで、第二芸術論→前衛短歌といった短歌史の延長では捉え切れないものがあることは、よくわかる気がする。
そういう意味では、土屋文明の『青南後集』『青南後集以後』といった歌集から多くの歌が引かれていることも、示唆的であると言えるかもしれない。
2011年8月19日、岩波新書、700円。