つかのまの後先(あとさき)ありてと詠ひたる人の齢の思はれて 夏この歌はもちろん、土屋文明の次の歌を元にしている。
永田和宏
終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ昭和57年に文明の妻テル子が亡くなった時の歌である。テル子は93歳であった。同じ一連に〈ここのそぢ共に越え二つの姉なるを安らぎとして有り経しものを〉という歌もあるように、テル子は文明の2歳年上であり、文明はこの時91歳。
土屋文明『青南後集』
永遠の時間の流れのなかにあっては、先に死ぬのも後に死ぬのも大した違いはない。それでも、やはりその差がかなしいという歌である。
永田さんの歌に戻れば、妻を亡くしたと立場という点では文明と同じであるものの、亡くした時の年齢は63歳。河野さん64歳。早すぎる死と、その後につづく長い歳月のことを思うと、なおいっそう深い悲しみを覚えるのであろう。