2011年09月24日

ドブさらいや草むしり

「塔」9月号の誌面時評に沼尻つた子さんが次のように書いている。
ここで他結社所属の友人から聞いた話を。ある歌人に「結社や歌壇は、誰かがドブさらいや草むしりをしなければならない場所。なぜなら共同体だから」という意の発言があったそうだ。こつこつ事務作業をこなし、混沌とした野原を畝のそろった土壌へと整えてくれる会員があってこそ、結社という地には歌の花も実も並ぶのだろう。
この後、文章は「お互い、常なる感謝と協力を忘れずにいたい」と続いており、論旨には全く異論はない。ただ、ちょっと気になるのだ。

自分の体験に即して言えば、自分のしていることを「ドブさらいや草むしり」と思っていては、結社の仕事を長く続けることはできないだろう。たとえ他人から見れば「ドブさらいや草むしり」のような仕事であったとしてもだ。

この点に関しては、以前、「塔」の座談会(2000年5月号「結社の活性化をめざして」)の中で、当時編集長をしていた吉川宏志さんが発言していたことを、今も鮮やかに覚えている。それは、次のようなものであった。
 僕の場合は、「塔」の編集をしていて得になったところがずいぶんあるわけですよ。「塔」の編集をやっているから、歌を注目してもらったことも結構あったしね。それから「虫の歌」なんて特集を組んだこともあったけど、自分がやりたいと思った企画は、ほとんど実現してきたと思っています。
 そんな野心があるから、「塔」の仕事をやっているわけで、ボランティアだけだったら絶対こんなこと続けていませんね。よく、会員の方から「いつもお世話になってます」とか言われるけど、半分以上は自分のためにやっているんだから、まああまり気を遣ってもらわなくてもいいんです。(笑)
まさに、その通りという感じである。

「自己犠牲」や「献身」といったイメージが結社には常につきまとうが、どうもあまり好きではない。もっとポジティブなものに変えていきたいという思いを強く持っている。

posted by 松村正直 at 16:17| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うーむ。
どちらも的を射てますなあ。
でも、「編集長」と「草むしり」はかなり立場的に違う感じはしますよね。

沼尻さんの比喩が激しすぎるなら、トラクターに乗っていろんなところを(タバコを咥えて鼻唄を歌いながら)整地して回っているオジサンというのはどうでしょうか。

みんなはしっかりとその人を認知していて、その人もそれによって村の人々から食べ物をもらったりして得をしている感じ。オジサンもできる範囲でがんばっているという。

でも、究極的には師やグループへの、少しのリターン付きの献身という思いがないと続かないのではないでしょうかねえ。リターンは必要でしょう、やっぱり。

それって、会社だってそうじゃないかな思いますけど。

ひとごとでないので、考えています。
Posted by おおまつ。 at 2011年09月25日 01:09
>おおまつ様
まあ、「編集長」という立場は、むしろ「草むしり」をさせている方でしょうからね。だから居心地の悪さを感じてしまうのかもしれません。

実は座談会では吉川さんの発言に続いて、小高賢さんと加藤治郎さんの発言もあって、そのあたりの話になってます。

小高 多くの場合雑巾掛けはそれだけで終わってしまう。使われちゃうだけで。文学的野心に繋がらない。損な役回りだけ押しつけられることになって。

加藤 それが現実ですね。世の中労が報われるのは少ない。結社に若い人が入ってきて自分の作品が載っていて嬉しいとか、批評が聞けるというところまではいいのだけど、ある時点から結社を支えていかなければいけない変わり目のところが壁で、そこまで結社に踏み込んでいけるかどうか。

10年前も今と同じようなことが問題になっていたんだなあ、と思います。
Posted by 松村正直 at 2011年09月25日 08:16
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