里見佳保さんの時評「時間を読む時間」が良かった。
一首がひとつの出来事、一点の心の揺れをとらえたものだとしたらその並べ方、繋がりで空気や時間の流れを感じとることができる。一首のあらわす一点を読んだだけでは得られないそうした時間の流れを読むにはやはり読者も時間と手間をかける必要があるだろう。「時間と手間をかける必要」というのは、当り前なようでいて、意外に疎かにされていることであり、こうした指摘は大事なことだと思う。
田村元さんの評論「短歌の価値―「叫びの交換」について」は、以前私がこのブログに書いた文章「短歌の価値」を引きつつ、土屋文明の「叫びの交換」へと話をつなげている。
「百舌と文鎮」では三枝さんが、パネルディスカッション「茂吉・文明に学ぶ」を取り上げて、その中で「文明の歌には時間の経過がそのまま刻み込まれており、周囲の人への関心の広がりもある」と書いている。
以上の3つはそれぞれ別の文章であるのだが、こうして並べてみると、そこに何か共通して見えてくるものがあるように感じる。ちょうど自分が文明についての文章を書いている最中だからだろうか。
文明についての文章」がとても楽しみです。
文明については、昨年から「塔」で「アララギ歌人研究」というのを行っていて、前田康子さん、田中濯さんと三人で文明を担当しているのです。
その関係で文明を読んだり考えたりすることが多いのですが、地味なようでいてけっこう面白いんじゃないかなあというのが、僕の感想です。