永田さんの初めてのエッセイ集。
日本経済新聞や京都新聞に連載したエッセイを中心に、全部で55編が収められている。内容は自らの生い立ちの話や、短歌の話、サイエンスの話、恩師の話などさまざま。
滋賀県生まれの永田さんは、母親が結核ということで、近所のお婆さんに預けられて育った。父親は京都に住み込みで働きに行っていた。
母の死後もそのまま預けられていたが、月に一、二度の父が帰ってくる日、子ども心にその日の待ち遠しかったこと。たぶん土曜日の午後にでも帰り、日曜日には京都へ戻っていったのであろう。お婆さんと二人きりの寂しい生活のなかで、ひたすら父の帰りを待っていた。この文章を読んで思い出したのは、高安国世の幼少期である。
父が帰ってくるのはうれしいが、来たとたんに、今度はいつ帰ってしまうのかと、たちまちそれが心配でたまらない。一日中くっついて遊び、さて父が帰ろうという段になると、四キロほどの道を饗庭の駅まで送っていくのである。駅へ着いて電車の来るのを待つあいだも、必死に父の手をにぎっていた。(…)
「三歳の知恵」
(…)僕は家のものとは離れ、郊外の家にひとり居ることが多かった。どうしてだか自分には分らなかったけれど、父も母も来ては又居なくなつた。乳母がゐるときはまだよかつた。(…)女中ばかりのときは一番悲しかつた。どちらも切なくて哀しい思い出である。幼少期のこうした体験は、きっといつまでも忘れられないものなのだろう。
(…)愛する母が訪ねて来る折も、ふつうの子供のやうな愛の表現が出来なかつた。することを嫌つた。どんなに自分が淋しがつてゐたかを理解して慰めてくれなければ、こちらも意地を張り通してやるといつた感じだつた。そして母がぢき去つてしまふことを知つてゐたから尚更むづかつた。どうすれば母を引き留め得るか。(…) 「回想」(『若き日のために』より)
2011年5月12日、白水社、1900円。