2011年07月21日

栗の歌(その1)

山上憶良栗の歌作りし七月二十一日太陽暦の九月三日なればなり
            土屋文明『青南後集』

1980年の歌。
秀歌でも何でもないのだが、これで成り立っちゃうのが文明である。

7月21日ではまだ栗の実の季節ではないが、太陽暦に換算すると9月3日になるので、栗の実が食べられたのだろうという内容。もちろん
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何処より 来りしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ
          「万葉集」巻5−802

という憶良の歌を踏まえている。
800番〜805番は「嘉摩三部作」と呼ばれる長歌+反歌の3セットで、「神亀五年七月廿一日、於嘉摩郡撰定。筑前国守山上憶良」と記されている。文明の「七月二十一日」はこれを指しているのだ。

神亀五年は西暦に直すと728年のことらしい。万葉集の研究者でもあった文明は、そんな古代の栗のことが気になるのである。

posted by 松村正直 at 22:52| Comment(0) | 日付の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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