2011年07月19日

高瀬一誌さん

古い雑誌を整理していたら、「短歌人」1998年2月号が出てきた。
中に一筆箋が挟まっていて、
短歌の作品よかったです 発見が
ありました 雑誌に参加してみ
ませんか

松村様          高瀬
と、青い字で書かれている。

高瀬一誌さんである。

この年の1月〜3月にかけて、高瀬さんは角川「短歌」の公募短歌館の選者をしていて、3月号に私の歌を秀逸に選んで下さっている。
君の手の形を残すおにぎりを頬張りたいと思う青空
という歌で、〈「君の手の形を残すおにぎり」はいいなあ。「青空」はふつう陳腐で使いにくいがよく効いている〉というコメントが載っている。

その縁で、「短歌人」への入会を誘って下さったのだ。

残念ながら、前年(1997年)の12月に私は既に「塔」に入会していたので、その旨を手紙に書いてお断りの返事を出したのを覚えている。もし、タイミングが少し違っていたら、私は「短歌人」に入っていただろう。
posted by 松村正直 at 01:17| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
御縁というものは自分だけではどうなるものではない、不思議なものと思います。天野慶の場合、河野裕子さんから「塔」に誘って下さったときにはすでに高瀬さんのお誘いで「短歌人」に入ったあとだったようです。松村さんとは逆のパターンですね。こういった、ほんのわずかのタイミングのずれでその先の人生が大きく変わってくることがあると思います。そして、河野さんや高瀬さんのように、熱心に新人を発掘しようとする方がいらっしゃることが組織にとってはとても大切なことだと思います。
Posted by 村田馨 at 2011年07月19日 12:06
そんなことがあったんですね。
仏教系の大学に行っていたので縁という言葉、よく使われ、実感としても強く感じます。
もし短歌と出逢ってなければ、塔に入ってなければ、そう考えると人との出会いって大きい!
Posted by りょうだゆうこ at 2011年07月20日 02:35
>村田様
高瀬さんや河野さんの存在は、「短歌人」「塔」にとって大きいものでしたね。一枚のハガキや一本の電話のことを、一生忘れずに覚えているということがあります。

「短歌人」7月号の「河野裕子の初期作品」、興味深く読ませていただきました。(ここにも「高瀬さんのブルーの万年筆の文字」の話が出ていますね。)

ちょうど私も、塔8月号の「河野裕子追悼号」のために「河野裕子初期作品一覧」を編んだところでした。また角川「短歌」8月号にも「河野裕子ができるまで」という文章を書きましたので、お読みいただければ幸いです。

>りょうだ様
本当に、いろいろな「もし」を考えると不思議ですね。僕も河野さんに誘われていなかったら、今、結婚して京都に住んでいるということは100%なかったです。
Posted by 松村正直 at 2011年07月20日 09:20
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