晩秋の長湯温泉露天湯にそつと沈みて気泡まとはす 甲斐雪絵「この歌は結句がなかなかよい。湯につかったとき、細かな気泡がつく。見過ごしてしまいそうなことをうまく捉えて、このお湯が気持ちよさそうな感じをうまく出された」と書かれている。
確かに、お風呂に入ると身体の表面に気泡がつくので、鑑賞としてはこれで十分だろう。歌の解釈については何も異論はない。でも、長湯温泉に行ったことがある私には、すぐにわかった。
長湯温泉というのは大分県直入町(今では竹田市に合併したらしい)にある温泉で、炭酸濃度が非常に高いことで有名なのだ。「日本一の炭酸泉」を名乗っているくらいである。山間部の鄙びた温泉で、全国的にはほとんど知られていないと思うが、大分に住んでいた頃に一度だけ行ったことがある。
ここの温泉に入ると、それこそ無数の気泡が体中にまとわりつく。大袈裟に言えば、サイダーに入っているような感じで、身体が少しぴりぴりするほど。そういう、ちょっと変った温泉なのである。だから、この歌の「気泡」も、きっとそれのことだろう。
もう十数年前に長湯温泉へ行った日のことを思い出して、ひとり楽しい気分になった。