「塔」創刊以来の歌人の方が亡くなり、お一人で住んでいた京都の家を処分することになった。遠方から弟さん夫妻が来られ、二日間かけて業者の方が家財道具や荷物の運び出しを行う。「短歌関係の本は塔短歌会へ」という故人の遺言にもとづいて、私も蔵書の引き取りのためにうかがった。
古いものを捨てずに残しておく方だったようで、戦前のものも含めて手紙や写真などのすべてが残っていた。しかし、慌ただしい作業の中ではそれらを選別する余裕もなく、数枚の写真を残してすべて廃棄されることになった。長年使われてきた調度品や手作りの立派な家具も、もう捨てるしかないのだそうだ。
玄関脇の部屋で、弟さん夫妻と故人についての思い出を語り合った。亡くなる直前まで毎月10首の出詠を欠かさない方であり、入院中も何度も電話をかけてきた方であった。弟さんにそのことを話すと、「姉は歌だけが生きがいでした」とおっしゃり、それから少しして、「姉の歌は残るものなのでしょうか?」と尋ねられた。
私はしばらく言葉に詰まった。
残ります、とは言えなかった。後の世に歌が残るというのは、そんなに簡単でないことは私も知っている。でも、弟さんの気持ちも痛いほどによくわかった。姉が一生をかけて作ってきたものが、何らかの意味のあるものであってほしいと願うのは当然のことだろう。故人は70年以上も歌を作ってこられた方なのだ。
私は、晶子や茂吉のような超一流の歌人の歌にだけ価値があるのではなく、どんな歌人の歌にも、その人の人生の時間や生きざまが込められていて、それはそれでとても価値があるものなのだと、精一杯の話をした。だから、きっとこれからも読んでくれる人がいると思いますよ、と。
短歌とはまったく縁のない弟さんに、その話がどれだけ通じたかはわからない。でも「そうですか、ありがとうございます」と安心したようにおっしゃった言葉に、私はとても救われる思いがした。
短歌の価値とは、何なのだろう・・・。
しばらくそんな思いが頭を離れなかった。
短歌とほぼ同じころ金子みすずさんに出会って、「どんな小さな詩でも、いつか誰かにきっと届く」ということを教わりました。(みすずさんは没後の出会いによって発掘されました)以来、このことはずっと私の支えです。
「100年経っても、どこか誰かの心に着地する」
そう信じて歌を続けたいです。ガラス瓶に手紙を入れて海に流すことに似ているけど。
なかなか自分の中でも結論の出ない問題ですが、これからも考え続けていきたいと思います。