このうち芥子の話は、富永堅一という方の歌文集『木草の息』のなかに「芥子」という一文があることに触発されて書かれたもの。
(…)富永さんのお住まいの近く、昔の三島郡のあたりは、以前には阿片採収のための芥子畠が点在していたそうであるが、そう言えば昭和九、十年ごろ、私が芦屋から京大の文学部へ通っていたとき、梅雨どきの広い麦畑のあいだに、ところどころ白じろと日が当たっているような錯覚に、注意してみるとそれは白い芥子の花畑だった。
雨ふれる野の幾ところしろじろと照ると思ふは芥子を植ゑたり
という歌を作ったのを思い出した。西洋ひなげしとちがって花弁が大きく、むせるような香りを発散する。何かの偶然で庭に生え出たのを私は知っているだけだが、富永さんの文章ではじめて阿片採収の方法などを知った。
長々と引用したのは、別に阿片に興味があるからではなくて、「塔」2009年4月号に真中さんの書いた評論「芥子を植ゑたり」を思い出したからである。まさに、高安のこの歌を皮切りに、ケシ栽培のあれこれを短歌と絡めて論じた文章であった。