いったい、短歌がつまらないのは、短歌がものわかりのいい爺さんになってしまったせいでもある。新聞短歌、同人短歌、総合雑誌短歌、結社短歌、歌会短歌、みんなにたりよったりだ。ほんとにつまらない。全部読むにはよほどの忍耐がいる。自称、歌よみのはしくれの私でさえこうである。いわゆるシロウトさんにおいてや何をかいわんや、である。
何とも威勢の良い文章だが、これは河野裕子の書いたもの。「現代短歌に何を求めるか」という特集に寄せた「相聞歌について」の冒頭部分である。河野は当時「コスモス」の会員であったので、「塔」にとってはゲストということになる。
文章は、以下のように続く。
短歌から挽歌と相聞を取ってしまったらなんにも残るはずがない。それだのに昨今の歌よみはそのなんにもない所に頭をつっこんで目の前のできごとをメモするしか能がないから日常べったら漬けになってしまうのである。短歌がつまらないのは、すぐれた挽歌と相聞を失ってしまったからだ。
「日常べったら漬け」なんて、おもしろい言い方をしている。「日常べったり」と「べったら漬け」がミックスしたのだろう。文体がとても若々しい。それもそのはず、当時、河野は25歳。
この後の相聞歌に関する主張は、同時期に書かれたと思われる「無瑕の相聞歌」(「短歌」1972年4月号)や『森のやうに獣のやうに』(1972年5月)のあとがきと内容的に重なっている。
私たちは誰のために短歌を作るのか。何のために短歌を作るのか。自分のために作るのである。自分だけのために作るのである。誰のためでもあってはならない。相聞は恋人に与えるべくして作るものであってはならない。かって私も、恋人のためにただ一首の相聞を作ろうと思ったことがあるが、とうとうそれはできなかった。
若き日の河野さんの文章を読んでいると、不思議な気分になる。そこには、自分より年下の河野さんがいて、元気よく喋っている。
書いたものが残るというのは、素敵なことでもあり、ぎょっとすることでもあり・・・。 若かりし頃に書いた学級通信は今読むと、青臭い文章で小生意気なことがいっぱい書いてあって、恥ずかしい。だんだん書くことに臆病になってきている自分がいます。せめて短歌だけは、そうならないようにと願っていますが・・・。
今、8月の河野さんの追悼号に向けて、第一歌集以前の初期作品を集めていますが、そこにも青臭い歌がいっぱいあります。