編集後記には〈「世紀」創刊号を送るに当つて、吾々は先づ、吾々が如何なる党派にも属さぬものであることを明言する。一つの政治的色彩が帯びた旗の下に編輯される雑誌も勿論必要ではあるが、現在の社会はかうした一元的なジャーナリズムの枠内に入るには余りにも複雑である〉などと書かれている。戦後すぐの雰囲気が濃く感じられる文章だ。
この雑誌に高安国世の短歌「ひともと樅」5首が掲載されている。
ひともと樅
しづかなる光移りてわが窓はひともと樅の影になりつも
子と来つる園ひろびろと冬枯れてけだもの吼ゆる方もあらずも
時雨の雨散りくる鷲の檻のまへ白木蓮の蕾ふふみぬ
松並木片照る幹はしろじろと雪のこるかと見えてつづきぬ
さしあたり為すことのなき寂しさは妻の起居(たちゐ)の音ききてをり
高安の歌集『真実』を見てみると、これらの5首は改作されて、巻頭付近の「霜ふる」「動物園」「冬日抄」の3つの連作に分れて入っていることがわかる。
「霜ふる」
しづかなる光満ちくる我が庭のひともと樅の影の中に居り
「動物園」
さむざむと時雨ながらふる園ひろくけだもの吼ゆる方もあらぬか
時雨の雨散りくる鷲の檻の前白木蓮の蕾ふふみぬ
「冬日抄」
松並木片照る幹はしろじろと雪のこりつつ見ゆるさびしさ
さしあたり為(な)すことのなき寂(さぶ)しさは妻の立居(たちゐ)の音ききており
歌集に入れる際に、けっこう手を加えているなあ、という印象だ。