とにかく読んでいて楽しく、退屈しない。特に息子さんを詠った歌はどれも面白い。意識の端や視野の端、風景の端など、中心ではなく端っこを詠った作品に花山さんの特徴がある。結句で焦点を合わせたり、反転させたりして、歌を成立させるのが一つのパターンになっているかもしれない。
あの……髪のかたですか 病院の受付の人が息子を指せり
冬の陽をまぶしみ渡りゆくときを信号の庇ふかぶかと見ゆ
ふうせんがおもい、ふうせんがおもいと泣いてゐる子供はしだいに母に遅れて
冬の夜の湯上がりのからだしなやかに爪先だちて電球を替ふ
明治生れの祖父母の孫でありしのみ わたしは誰のむすめでもなく
電子辞書ひらくつもりがケータイをひらきて指はしばしさまよふ
負(おぶ)ひたる子供を下ろしてそののちを負ふことなき最後の日ありき
戦死者の本音をあれこれ忖度す生者の側のたてまへにより
このごろは物とり落とすこと多し頭から手が遠く離れて
植木等も死んでしまひていくたびもオフィスの机の上に飛び乗る
日常を詠んだ歌やユーモアを感じさせる歌が多いなかに、例えば5首目のような直球の歌があって、ずしんと胸にひびく。60歳近くなっても「わたしは誰のむすめでもなく」という思いは、消えることなく残っているのだ。「髪あれば髪を洗ひてゐるならむ八十歳(はちじふ)過ぎたる男はひとり」という歌も、おそらくそういう文脈で読むべき歌なのだろう。
個人的な話をすると、「御所」と題する一連は、「ダーツ」の終刊号の座談会に花山さんをゲストとしてお招きした時のもの。一緒に京都を散策したあの日から、早いものでもう6年になる。
2011年4月5日、砂子屋書房、3000円。