2011年04月22日

特殊潜航艇(その4)

これまで「特殊潜航艇」という言葉を手掛かりに、小池光の歌が岡井隆の本歌取りであり、岡井の歌は斎藤茂吉の歌や北川透の詩を踏まえたものであろうということを見てきた。これで終わりでもいいのだが、今回は少し角度を変えて、特殊潜航艇とはそもそも何か、について考えてみたい。

特殊潜航艇と聞いて、私が最初に思い浮かべるのはハワイの真珠湾攻撃であり、九軍神のことである。真珠湾攻撃では航空機による攻撃が行われたが、同時に5隻の特殊潜航艇による湾内への侵入も試みられた。この5隻は帰還することなく、2名×5隻=10名の乗員のうち、1名は捕虜となり、9名が戦死した。彼らは九軍神として祀られ、戦時中の日本で讃えられたのである。

それだけではない。日本軍はアメリカ軍の戦艦アリゾナを撃沈しているが、この戦果は当時、この特殊潜航艇の魚雷攻撃によるものと発表されたのである。これは事実とは異なる戦意高揚のためのプロパガンダであったが、真珠湾攻撃の成功とともに日本国民に強く印象付けられた出来事であっただろう。

例えば、昭和17年4月号の「画報躍進之日本」というグラビア雑誌には、次のような記事が載っている。
 斯くて十数時間を水中で過ごし、ほのぼのと月の出る時刻となつた、月が出るとその光で湾内に残つてゐた敵艦一隻が発見された、まがふ方なき「アリゾナ型」戦艦である。
 それを見かけて一隻の特殊潜航艇が、海豹の如く進んで行つた、瞬くうちに、遙か真珠湾内に一大爆発が起こり火焔天に沖し、灼熱した鉄片が花火のやうに高く舞ひあがつた、その光茫がすッと消えた時「アリゾナ」型の艦影は海面からその姿を消してゐた。時に十二月八日午後四時三十一分、月の出二分後であつた、同日午後六時十一分、特殊潜航艇から「襲撃に成功す」の無電放送があつた。

この特殊潜航艇のイメージが、昭和三年生まれの岡井隆の歌の背後にあったのではないだろうか。そんなふうに思うのである。
あかあかとまなこをあげて昇り行く特殊潜航艇「月読(つきよみ)」は。
           岡井隆『親和力』

posted by 松村正直 at 00:57| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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