2011年04月11日

天田愚庵(その2)

この「終焉之地」を詠んだ歌としては、愚庵が亡くなった翌年、明治38年にこの地を訪れた長塚節の歌がある。
   愚庵和尚の遺蹟を訪ふ、庵室の縁の高きは遠望に佳ならむがためなり、
   戸は鎖したれど時久しからねば垣も未だあらたなり。清泉大石のもとを流る

梧桐の庭ゆく水の流れ去る垣も朽ちねばいますかと思ふ
巨椋(おほくら)の池のつつみも遠山も淀洩く船も見ゆるこの庵
桃山の萱は葺きけむこの庵を秋雨漏らば誰が掩はむ
                  『長塚節歌集』

まだ生前のままに残っている庵を見て、亡き愚庵のことを偲んでいる歌である。今ではこのあたりは住宅地となっているが、当時は鄙びた場所であったのだろう。二首目に詠まれている「巨椋の池」は、周囲16キロ、794ヘクタールの広さを誇る湖であったが、昭和に入って干拓が行われ、現在もうその姿を見ることはできない。

なお、この地に建っていた庵は、1966年に愚庵の生地である福島県いわき市に移築され、「天田愚庵の庵」として現在も残されているそうだ。ぜひ一度訪れてみたいと思う。
posted by 松村正直 at 00:12| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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