
愚庵と言えば、正岡子規との交流が有名である。子規の歌集『竹の里歌』は、明治30年の次の歌から始まっている。
愚庵和尚より其庭になりたる柿なりとて十五ばかりおくられけるに 録三首
御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつよ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき
もっとも、この時の愚庵は、京都の清水、産寧坂に住んでいたそうなので、この柿も伏見桃山の産ではない。
愚庵和尚より其庭になりたる柿なりとて十五ばかりおくられけるに 録三首
御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつよ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき