2011年04月10日

天田愚庵(その1)


IMG_2279.jpg家の近所を歩いていて、いつもとは違う道を通ったところ、住宅地の中に「愚庵終焉之地」という石碑を見つけた。天田愚庵(あまだぐあん、1854―1904)は明治時代の歌人・禅僧。戊辰戦争で行方不明になった家族を探して全国を旅した末に、最後はこの京都の伏見桃山に庵を結び、そこで亡くなったらしい。

愚庵と言えば、正岡子規との交流が有名である。子規の歌集『竹の里歌』は、明治30年の次の歌から始まっている。
  愚庵和尚より其庭になりたる柿なりとて十五ばかりおくられけるに 録三首
御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつよ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき

もっとも、この時の愚庵は、京都の清水、産寧坂に住んでいたそうなので、この柿も伏見桃山の産ではない。
posted by 松村正直 at 00:22| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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