つまり歌人としての前半生は「コスモス」の人だったんですね。
とおっしゃっていた。これは知っている人にとっては当り前のことだけれど、最近では「塔」の中でも意外に知らない人が増えていることのように思う。
河野さんは1964年〜1989年までの25年間「コスモス」に在籍していた。「塔」は1990年〜2010年までの20年間ということになる。私自身、もちろん以前からそのことは知っていたのだが、例えば『みどりの家の窓から』を読んでいて、
飯綱高原に着くなり、亭主と光田先生は、塔の全国大会に行ってしまったから、私と子供たちが、キノコ狩りの主力部隊になった。
という文章などを読むと、一瞬「えっ?何で河野さんは全国大会に行かないの?」と思ったりしてしまう。
それだけ、〈河野さん=塔〉というイメージが強くなってしまったということなのだろう。その良し悪しは問わないが、「河野さんは永田さんと二人三脚でずっと塔を支えてきて・・・」みたいなことが平気で言われたり書かれたりしている現状を見て、戸惑うことも多い。事実とはズレた話がどんどん広がって行くことに対して、不安を覚えてしまうのである。