これは昨年11月に東京で行われた「今、読み直す戦後短歌」の三回目のシンポジウム(サブタイトルは「戦中からの視野」)の基調講演である。この中で川野さんは
文学者の年譜にいつどこへ疎開した、と出てくるんですけれども、疎開というものが、ことばに与えた影響は語られてこなかったんじゃないかという気がします。しかし、「戦中からの視野」で考えてみると、これは見逃すことのできないかなり大きな要素だろうということに気がついてきました。
と述べ、葛原妙子・斎藤史・斎藤茂吉という三人の歌人の疎開時の作品を取り上げている。そして、
三者三様の疎開体験ですけれども、疎開という空間、戦中の場が戦時中の文学にもたらしたものは少なくない。そしてたぶん、戦後文学の礎となっていった部分があったのではなかったろうかと思いました。
という結論を導き出すのである。とても重要な指摘だと思う。この三人以外でも、例えば群馬県の川戸に疎開した土屋文明の場合、『山下水』『自流泉』といった歌集を読めば、疎開生活が作品に与えた影響の大きさは明らかだろう。
さらに言えば、これは短歌に限った話ではない。先日読んだ有栖川有栖『作家の犯行現場』の中で、著者は横溝正史をめぐる旅に出るにあたって、次のように記している。
ミステリーファンなら、正史が疎開先だった岡山を舞台にした作品をたくさん遺していることをご存じだろう。彼はそこで昭和二十年春から終戦を挟んで二十三年夏まで過ごし、『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』という日本推理小説史に輝く傑作を書いた。
疎開という出来事がなければ、あるいはこうした横溝正史の傑作は生まれていなかったかもしれないのである。