われはしも紅茶を買ひぬさざんくわの赤き花ちるさーびすえりや
斷層はここと言へればここなるを大根畑のみどりしづまる
雨の豫報とほざかりたり桃の木の桃の葉茂りおぼおぼとある
沼にゐる水鳥がその數増えてゆらぎ出でくるこゑのひびかふ
いつしかに徐行をしつつ此の通りに蕎麥店あれば駐車場探す
妙高のいもり沼にはまた行くのかと言葉のつづきに汝の問ひたる
梅の木の蕾見ゆるを見てゐたり日の暮れかたのにはかに暗く
葉ざくらとなりてゐたればゆふぐれに暗きみちなりわが歸りみち
手文庫の中に見當たらねばつつじ咲く庭の向うを見てをり少時
がまがへるながきねむりより目覺むるにけふ覺めるとは思はざりしを
樹木の葉それぞれ形を見つつゐてつひにわが手を視るとかなしも
(一部、字体が異なるものがあります)
正字、旧仮名遣い。カタカナはほとんど使われていない。
助詞・助動詞を駆使して、今まさに詠われつつあるような、進行形の作りの歌を生み出している。一首のなかに複数の時間が流れているような感じとでも言えばいいか。とは言っても、以前の森岡作品に比べるとかなり読みやすくなっている。
「かの」「この」「その」といった連体詞の用法に独特なものがある。例えば四首目の歌の場合、普通なら「沼にゐる水鳥の數(が)増えて・・・」あるいは「沼にゐる水鳥がその數を増やして・・・」とでもなるところを、「沼にゐる水鳥がその數増えて」という少し奇妙な形にしている。
それが、この歌のいいところ。「沼にゐる水鳥が・・・」と詠い始めて、そこに覆いかぶせるように「その數増えて」と続けていく。最初は一羽だった水鳥が、そこで一気に増えたような鮮やかな印象を受ける。
まあ、あまり真似はしない方が良さそうですが。
2010年8月30日、砂子屋書房、3000円。