子規の残した文章や詩歌を引いて、それに関する事柄を記していくというスタイルで書かれた評伝。明治12年、子規12歳の文章に始まり、明治35年の絶筆三句までという流れになっている。
俳句、短歌に限らず子規のさまざまな文章が引かれていて面白い。例えば、ベースボールが戦争のように激しいことを述べて、子規は次のように言う。
二町四方の間は弾丸は縦横無尽に飛びめぐり 攻め手はこれにつれて戦場を馳せまはり 防ぎ手は弾丸を受けて投げ返しおつかけなどし あるは要害をくひとめて敵を擒(とりこ)にし弾丸を受けて敵を殺し あるは不意を討ち あるは夾み撃し あるは戦場までこぬうちにやみ討ちにあふも少なからず (「筆まかせ」明治21年)
これなどを読むと、浜田康敬の有名な〈「盗む」「刺す」「殺す」はたまた「憤死」する言葉生き生き野球しており〉という一首が思い浮かぶ。
また、子規と言えば写生(写実)を重んじたことで有名であるが、それはあくまで子規の一面に過ぎなかったようだ。
空想と写実と合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず空想に偏僻し写実に拘泥する者は固(もと)より其至る者に非るなり (「俳諧大要」)
この文章からも、子規が空想と写実の両方を大事にしていたことがよくわかる。〈足たゝば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを〉と詠んだ子規であるから、むしろ当然のことではあるのだが、「子規=写生」というような図式的な把握になりがちな現代において、このように原点に戻って読み直すことの大切さを感じた。
評伝を読む楽しさは、そこに描かれた人物を知る楽しさであると同時に、それを描く人のことを知る楽しさでもあるだろう。この本から浮んでくる子規もまた、著者坪内稔典のフィルターを通した子規の姿なのである。
子規の俳句は、そして短歌も文章もだが、自分が面白いと思ったことが、読者にも面白いと思ってもらえるものであった。いつも読者がいて、読者と共に楽しむのである。
このように子規の姿を描くとき、そこには坪内自身の姿が二重写しになっているように感じる。
2010年12月17日、岩波文庫、720円。