「塔」での連載「高安国世の手紙」が3年目に入った。当初は一年間くらいの連載を考えていたのだが、1年では終らず、2年でも終らず、ついに3年目を迎えることになった。こうして発表の場をいただけるというのは、考えてみれば贅沢なことで、これも結社のありがたさというものだろう。今年一年で書き終えて、いつか一冊の本にまとめることができたらいいと思う。
連載のためにあれこれ調べものをすることが多い。調べものをしながら、時々「こんなことをして何になるんだろう」という疑問が湧くことがある。短歌というのは、作品を読むことが第一義であって、作者の生活や人生を調べることに、はたして何の意味があるのだろう。しかも、細かく調べていくことによって、作者の伏せておきたかったような事実まで明らかにしてしまうことになる。
そうした疑問に明快に答えられるだけのものを、私は持っていない。毎回、試行錯誤の繰り返しであるし、こんなことには何の意味もないのかもしれないと思うこともしばしばだ。でも、自分がそれに興味を持つということは、何かそこに意味があるのだと信じて、調べたり書いたりしている。それが正しいことなのかどうか、正直言ってよくわからない。
自然科学の分野では、今では誤りとされている仮説や考え方を証明するために一生を費やした人も多い。そうした科学者たちが行ったたくさんの実験や研究のことを考えてみる。ある意味、壮大な無駄と言ってもいい。でも、すべては迷路と同じことで、どの道が正しいか最初からわかっているわけではない。だから、こういう科学者の話を聞くと、私はむしろほっとした気持ちになる。
2011年02月27日
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