2011年02月25日

山川朱実著 『国境まで』

昭和16年出版の随筆集。「日本の古本屋」で数千円で購入したもの。山川朱実は歌人北見志保子の別名である。

昭和15年秋に北見志保子が文化講演会のため樺太を回った時の文章が、全体の約半分を占めている。樺太については、昨年出した評論集『短歌は記憶する』の中に「樺太の見た夢」という文章を書いたが、触れられなかった歌人も多く、まだまだ書きたいという思いが強い。いつの日か「樺太を訪れた歌人たち」という連載をして、一冊の本にまとめたいと思っている。

樺太旅行以外の文章も、テンポがよくて、はっきりとした物言いが気持ち良い。内容的にもあまり古びた感じはなく、面白く読むことができる。冒頭部分を引くと、こんな感じ。
 私は或るとき血圧が高くなつて医者のもとに行つた。医者は私の顔を見ると、いつものやうに「どうしました?」と聞きながら、円い回転椅子に私をかけさせた。そして、血圧を計りながら、「ところで、斎藤茂吉と北原白秋とは、どつちが偉いんですか?」と話し出した。聴診器を私の心臓の上や肺の上に移しながら話すので、私はこれでわかるのかしらと思つた。(診察室)

 影のない明るく曇つた日で、まことに初夏らしいよい日であつた。さすがにまだ山の上は肌寒いと思ふほどの風がバスの窓から吹き入りながら、どんどん御殿場から須走へ登つてゆく。あのバスガールが地方々々の名所旧蹟を案内する音調はいつどこから始まつたものか、私は聞く度に何とかならないものかと思ふ。一日に何遍となく同じことをくりかへしていつてゐると自然ああなるものかとも思ふけれど、デパートのエレベーターガールや案内お知らせの場内に聞えわたる声にしても同じことで、少しの温みも親しみもなく、ただ野卑の一語に尽きてゐる。 (須走の小鳥たち)

こうした本が、今ではほとんど入手不可能になっているのは残念なことだ。

昭和16年9月5日発行、大同印書館、1円80銭。
posted by 松村正直 at 00:46| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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