作者の歌については、以前、「私の推す四名の歌人」という文章(角川「短歌」2008年6月号)で取り上げたことがある。理知的で、しかも抒情を感じさせる作者のスタイルは、この歌集にもくっきりと現れている。近代短歌以降のさまざまな修辞や文体を自在に使いこなすだけの力量と、非常に現代的な内容とを併せ持った、注目すべき歌集だと思う。
街灯の真下をひとつ過ぎるたび影は追ひつき影は追ひこす
フィラメント繋げる如く綴りゆき立ちかへりては打つウムラウト
乾びたるベンチに思ふものごころつくまで誰が吾なりしかと
湧くごとくプールサイドにあしあとは絶えねどやがて乾きゆくのみ
ゼブラゾーンはさみて人は並べられ神がはじめる黄昏のチェス
ビル壁面を抜けて鴉にかはりたり羽ばたく影と見てゐしものが
柚子風呂の四辺をさやかにいろどりて湯は溢るれど柚子は溢れず
齧りゆく紅き林檎もなかばより歯形を喰べてゐるここちする
みなもより落葉(らくえふ)ひとつみなぞこへ落ちなほしゆくさまを見てゐつ
日 月 火 水 木 金 土 とらんぷをくばりゆくごと春の日は過ぎ
六首目の歌からは、〈わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮べり〉(高安国世『街上』)という一首を思い出した。どの歌もオリジナルなものでありつつ、しかも短歌史につながる作品となっているように感じる。
全体的にかなり知的でシャープな印象があり、もう少し無防備な歌が欲しい気もするのだが、それは第二歌集以降ということで良いのだろう。
2010年8月11日、港の人、2200円。