愛想が好いような悪いような、単純なような難解なような、恬淡としているような執着があるような、何とも不思議な歌集だと思う。雑誌初出時の小文なども一緒に載っている。
文体としては初句の入り方がバラエティに富んでいて楽しい。歌集から10首を選ぶのが意外に難しく、どれを選んでも同じような気もしてくるが、朝を詠んだ歌に印象的なものが多かった。
さうなのだ朝は一日(ひとひ)の最深部そこからゆつくり立ち上がるべく
吉田漱とは最後まで同行せり互ひに秘めし過去はくれなゐ
次第次第に思念の沼ゆうかび来てまた沈みゆく鯉の大きさ
すぐそばの自らの死を知らぬげにテレビに語る大野晋は
越年といふは腰まで濡れながら朝川わたる朝霧の中
段差がありますよと言ひて導くはさう年の差もなささうな君
手を洗ふ二人並んで手を洗ふなにをして来た手かは知らねど
卓上をネックレス白く流れたりあかつき起きのわれを鎮めて
夜半ちかく作業を終へし右の手を左手が来てしづかに包む
別の朝のちがふ時間が始まつて赤啄木鳥(あかげら)は来るその顔をして
2010年9月20日、短歌新聞社、2500円。