湖(うみ)にわたすひとすじの橋はるけくて繊(ほそ)きしろがねの韻(ひびき)とならん 高安国世
と詠われた橋である。『京都うた紀行』でも永田さんがこの歌を引いて、琵琶湖大橋についての文章を書いている。しかも、河野さんが書いた「堅田」の次が「琵琶湖大橋」なのだ。ヒント(?)はこんなところにもあったのである。
琵琶湖大橋を初めて渡ったのはいつの頃だっただろう。よくは覚えていないが、開通まもなくの頃だったに違いない。
(…)たぶん中学時代のわたしも、父の運転するパブリカで妹たちと一緒に琵琶湖をまわったはずである。
琵琶湖大橋は開通が一九六四年だという。大衆車が普及しはじめてきた時期に重なるのだろう。西岸の堅田と東岸の守山の今浜を結び、琵琶湖のもっともくびれた部分、北湖と南湖の境に架けられた橋である。〈自家用〉車を駆って、この近代的な美しい橋を渡る。琵琶湖大橋は実用以上に、観光でいつも混みあっていた。
河野さんが琵琶湖大橋の開通を祝う花電車を見てから間もなくの頃、中学生の永田さんは車で琵琶湖大橋を渡っていたということになる。(つづく)