2011年01月31日

花電車(その3)

次に、この花電車がいつ走っていたものかを考えてみたい。

これについては、河野さんの文章の中に「十八歳の秋、ちょうど九月のなか頃」とある。つまり1964年の9月中旬ということだ。

さらに細かく見ていくことにしよう。

「はなやかに月が照り、湖はいちめんに銀色に輝きわたり」という描写がある。ここから、満月かそれに近い夜だったことがわかるだろう。当時の月の出の時刻や月齢を調べてみると、9月21日(月)が満月であったようだ。月の出は大津市で18:03となっている。この文章の舞台となっている堅田は琵琶湖の西岸にあるので、東から昇る満月をちょうど湖の正面に見あげる形になる。

もう一つの手掛かりは、泊りに行った先が中学校時代の先生の所だということだ。この先生は「存命ならば八十六歳になっておられるはずだ」と書かれているので、1964年当時は40歳くらい。まだ中学校の先生を続けていたと考えていいだろう。となると、平日に泊まりに行くよりも、週末に泊まりに行ったと考える方が自然だ。9月19日(土)か20日(日)という線が浮かんでくる。(つづく)

posted by 松村正直 at 22:47| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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