2011年01月29日

花電車(その2)

まず、この花電車がどこを走っていたのかということを考えたい。

琵琶湖の西岸と言えば真っ先に思い浮かぶのはJR湖西線である。琵琶湖西岸を通り、京都の山科駅と滋賀県の近江塩津駅(琵琶湖の北)を結ぶ路線。関西と北陸を行き来する特急「サンダーバード」「雷鳥」は、米原経由で琵琶湖東岸を通るのではなく、この湖西線で琵琶湖西岸を通って行く。

しかし、どうも違う。湖西線というのはほとんどが高架とトンネルで出来ている路線であり、「琵琶湖のほとりを一輌の花電車が走っている」といった雰囲気ではないのである。それもそのはずで、湖西線は1974(昭和49)年開通という比較的新しい路線なのだ。

エッセイに書かれている場面は、河野さんの「十八歳の秋」とあるので、1964(昭和39)年の秋のこと。湖西線はまだ誕生していない。湖西線以前に琵琶湖の西岸を走っていたのは民営の江若(こうじゃく)鉄道である。地元の人々の出資で1921(大正6)年に開業した鉄道で、琵琶湖南岸の浜大津から北西岸の近江今津までの51キロを結んでいた。

江若鉄道は、その名前の通り、当初近江と若狭を結ぶ路線として計画されたが、結局若狭への延伸は実現することなく、近江今津止まりの非電化のローカル線であった。付近には琵琶湖の水泳場などが多く、夏のシーズンには賑わっていたようだ。

終点の近江今津の二つ前には「饗庭駅」があった。永田さんの生まれた土地である。
単線の江若鉄道いまは無く母無くかの日の父と子もなし
                     永田和宏『やぐるま』(1986年)

(つづく)
posted by 松村正直 at 21:46| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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