「短歌往来」2月号を読む。
喜多昭夫さんの評論「河野裕子の死生観―「死児」をめぐって」に感銘を受けた。
第一歌集『森のやうに獣のやうに』や第二歌集『ひるがほ』などに登場する死児の歌を中心に、河野さんの死生観について論じたものである。これまであまり正面から論じられてこなかった部分であるが、河野さんの歌を考える際に避けては通れないテーマだと思う。
私も「短歌往来」1月号に書いた「亡きひとのこゑ」という文章の中で、河野さんの亡くなった子の歌を引き、〈この「呼ばむ名」もなく死んだ子は、この後の歌集にも繰り返し登場するのであるが、今回は触れない〉と書いた。いつか論じなければならないと思いつつ、まだそれだけの覚悟ができていなかったのである。
こうしたテーマについて書こうとすると、どうしても単なる歌の話を超えて、作者のプライベートな部分にまで踏み込まざるを得ない場合が出てくる。そのあたりに関しては、当然ためらいもある。踏み込んでいいのかどうか迷うことも多い。
今回の喜多さんの文章は、そうしたデリケートな点にも配慮しつつ、けれども曖昧にするのではなく、必要な部分に関しては何歩も踏み込んで論じており、真剣さの伝わってくるものであった。今後もこうした真摯な評論によって、河野さんの新しい一面がどんどん見えてくると嬉しい。
2011年01月22日
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