どのページを開いても、当時まだ三十代だった河野さんの息遣いが、言葉のはしばしに溢れている。こうした生身が持つリズムを殺ぐことなく「そのまま」言葉にしていくのは、簡単なようで実はとても難しいことだ。アメリカ生活の日々の出来事を描きながら、そこに家族や子育て、アメリカ社会に対する鋭い批評もまじる。
青磁社のムック『河野裕子』にも再録されている「クルミの小部屋」は特に印象に残る一編。
ひとつの家の、ひとつ家族。しかし、家族のそれぞれは、蟬の翅のような仕切りに隔てられた、クルミの小部屋の住人のようでもあると思うこともある。
また、アメリカ滞在時以外のエッセイにも印象的なものが多い。河野さんの東京時代を記した「米原を過ぎる頃」には、次のような一節がある。
二十年余り暮らした近江の田舎とは言葉も風土も何もかもまるで違う。琵琶湖という大きなたっぷりとした水を抱えこんだ、近江の風土は、どこか不思議に透明で暗かった。
河野さんの名歌「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」の自歌自注のような文章だが、このエッセイの初出は昭和49年12月。歌が作られるのは昭和50年のことなので、歌が作られる前の文章ということになる。
この『みどりの家の窓から』は、未収録の連載原稿も含めて、年内に増補版が出る予定とのこと。楽しみに待ちたいと思う。
1986年11月20日、雁書館、2300円。