[文] 野矢茂樹 [絵] 植田 真。
副題は、「わかる」ための哲学的道案内。
「考える」ということについて考える内容である。
野矢茂樹の本はこれまでいくつか読んできたが、この本のことは知らなかった。植田真のやさしいイラストを挟みつつ、途中でアルキメデスが出てきたり、タラバガニやくまのプーさんやロボットR2D1が出てきたりする。高校生くらいでも十分に読める内容だろう。そして、その中にいくつも示唆に富む話がある。
例えば、著者は「問いと答えのらせん」ということを言う。
考えるということ。問題を考えるということ。それは問題そのものを問うことだ。問いへの問いが、答えを求める手探りといっしょになって、らせんを描く。答えの方向が少し見えて、それに応じて問いのかたちが少し見えてくる。そうするとまた答えの方向も少し見やすくなってくる。そうして進んでいく。
こんなのを読むと、当然、〈「問」と「答」の合わせ鏡〉を思い浮かべる。そして、短歌も哲学も実は一緒なのかもしれないなどと思う。
また、著者は、「自分の頭で考える」という言い方に対して、二つの点で異議を唱える。
考えるということは、実は頭とか脳でやることじゃない。手で考えたり、紙の上で考えたり、冷蔵庫の中身を手にもって考えたりする。これがひとつ。
それから、自分ひとりで考えるのでもない。たとえ自分ひとりでなんとかやっているときでも、そこには多くのひとたちの声や、声にならないことばや、ことばにならない力が働いているし、じっさい、考えることにとってものすごくだいじなことが、ひととの出会いにある。これが、もうひとつ。
これなども、非常に納得できる話だと思う。
何度も相槌を打ったり、ナルホドと思ったり、フムフムと考えたりしながら、最後まで楽しく読んだ。
2004年8月18日 PHP文庫 619円。