高安国世や土屋文明に関する文章を書いていて、しばしば参照している資料に、以下のようなものがある。
・『土屋文明論考』(1976年、短歌新聞社)
・『復刻「ぎしぎし會々報」』(1981年)
・『「未来」と現代短歌』(1991年、六法出版社)
これら3点には共通する点がある。それは、いずれも「未来短歌会」が企画・刊行したものだということだ。
『土屋文明論考』は「未来」の25周年を記念して出版されたもの。土屋文明論が18編載っているほか、資料として「土屋文明年譜」「土屋文明著作一覧」「土屋文明研究文献一覧」「アララギ年表」「土屋文明全歌集初二句索引」が付いている。
この資料部分がとにかく凄い。これだけ詳細で精密なものは、もう二度とできないのではないかと思われるほどだ。野場鑛太郎・吉田漱の両氏が中心になって作成したものである。
『復刻「ぎしぎし會々報」』は戦後に出た同人誌「ぎしぎし」全36巻を手作業で復元・コピーしたもの。限定200部の発行。井上美地・田井安曇・吉田漱といった方々の労作である。戦後の短歌史に名前を残す「ぎしぎし」を今日読むことができるのは、こうした方々の努力のお蔭だ。
『「未来」と現代短歌』は副題に「アルバムと年表による40年史」とあるように、未来の40周年を記念して出版されたもの。250枚にも及ぶ写真と詳細な年表とによって、時代の移り変わりが非常によくわかるように工夫されている。吉田漱・小野寺幸男・今西久穂といった方々が中心になって刊行されたもの。
こうした出版物を作るのには、おそらく気の遠くなるような時間と労力を要したことだろう。しかも、その割には報われることの少ない作業であったに違いない。けれども、そうした手間を惜しまずにかけているからこそ、今もなお非常に資料的な価値の高いものとして、残っているのだと思う。
結社というものの存在意義は、何よりもこういうところにあるのではないかと、この頃しきりに考えるのである。
短歌の世界も、今現在のことや目先のことばかりを追うのではなく、こうした献身的な(としか言いようのない)努力を、もっと評価していく必要があるだろうと思っています。