新聞掲載の経緯については、「短歌」2010年4月号掲載の池本一郎のエッセイに詳しい。「想い出の場所、想い出の歌」というコーナーで、池本は「星条旗のなびきいしはここか造成地過ぎ来てコンクリートの廃墟ある窪」の一首を引いて、次のように記している。
歌集『朝から朝』(昭47)後半の歌。昭和46年秋、金沢市に近い内灘砂丘に取材した連作5首の1首。毎日新聞紙上の「師弟競詠」のシリーズに登載された。(…)現地ルポの連作は国世には珍しい。
じつは私も同行し、やはり5首をもって紙上に師と並んで掲載された。(…)当日は曇り日で、日本海へ日本第3位の長大な砂丘が湾曲して対きあっていた。
星条旗も試射場もなくて、コンクリートの弾庫が砂上に黒い廃墟をさらしていた。
当時の新聞を見ると、「内灘砂丘」というタイトル文字と砂丘の大きな写真があり、コンクリート製のかまぼこ型の弾薬庫が写っている。顔写真入りで掲載された師弟競詠は高安国世と池本一郎の各5首。当時、高安58歳、池本32歳。高安の連作は紙上では「灰色の海」という題が付けられている。なぜか旧かな遣いとなっているほかは「内灘砂丘」5首と同じ内容だ。
一方の池本の作品は次の通り。
廃庫
路上灯曇れる昼をともしつつ一段高く海がひらける
遅れ来てまたも史実はとどろかず試射場跡の丘雲に入る
暗き口さらして低き弾庫あり廃墟はつねに砂呼びよせる
思想にはかかわりもなき暗がりよ無頼のごとく廃庫にはいる
ひしひしと押し寄せている小宇宙海すれすれに靴さげて立つ
こちらも題を「内灘」と変えて、そのままの内容で『池本一郎歌集』(1990年)に収められている。