高安国世の「内灘砂丘」の話である。
黒住嘉輝は『高安国世秀歌鑑賞』の中で、「灰色の海に向いて突堤に背走をくり返す一つトラック」の一首を取り上げて、次のように書いている。
「内灘砂丘」五首の最後の歌だが、つぎに「同じく」という題で四首が続いている珍しい構成である。若い人にはもうわからないだろうが、日本本土におけるかなり早い時期の、米軍基地反対闘争に「内灘闘争」というのがあった。この歌も単なる情景描写ではなく、闘争を回顧したものであるのは、(…)明らかであろう。石川県の日本海に面した地域である。
それにしても作者は何のためにここを訪れたのだろう。
黒住が指摘している通り、歌集『朝から朝』では、「内灘砂丘」5首に続いて「同じく」という題の4首が載っている。
同じく
砂にねてまなぶた透す陽の光港建設の鼓動伝わる
くもり日の砂あたたかく身に添いてけじめもあらぬ海と空あり
海越えてわたりくるもの動くともあらぬ六基のクレーンの音
水平線曇りに隠れかすか微か砂に音する雨は到りぬ
この4首も、やはり内灘砂丘を詠んだものである。内容的にが「内灘砂丘」5首とひとつながりのものと言っていい。砂丘で行われている工事の様子が描かれており、「一つトラック」の歌の続きとして読むことができる。
「内灘砂丘」の4首目に「崩れしも興りゆくものも美しからず」という言葉があるが、このうち「崩れし(もの)」が米軍の試射場の跡地を詠んだ歌であり、「興りしもの」がこれらの工事の歌という図式になるのだろう。
では、なぜ内灘砂丘の歌は「内灘砂丘」5首と「同じく」4首に分れているのか。
そして、これも黒住が言うように、高安は何のために内灘砂丘を訪れたのだろうか。