金沢に住み始めてすぐの頃だったので、たぶん1994年の秋であろう。金沢から北陸鉄道というローカル線に乗って20分ほどで終点の内灘駅に着く。そこから駅前の道を海の方に向って歩く。すぐそこに海があるのかと思っていたら、少し距離があった。20分ほど歩いただろうか、林の間をしばらく歩いた後で、急に視界が開けて海が見えた。
季節外れのさびしい海だった。広々とした砂浜の遠くの方に数人の人影が見えているだけ。しばらく海を眺めてから砂浜を歩いた。コンクリートの古い構造物が残っていて、それは内灘闘争に関係するものらしかった。
内灘砂丘
砂止めして小松植うるを見し砂丘ただアカシアの樹海ひろがる
朽葉の上砂の流れし跡見ゆるアカシア樹林また雨とならん
星条旗のなびきいしはここか造成地過ぎ来てコンクリートの廃墟ある窪
十五年の推移はありて崩れしも興りゆくものも美しからず
灰色の海に向いて突堤に背走をくり返す一つトラック
高安国世の歌である。第9歌集『朝から朝へ』(1972年)に収められたもの。(この一連については後でゆっくり考えたい)
砂浜を長いこと歩き回って、それから、もうやることがなかった。元の道をまた引き返す。駅まで続く道の途中で、喫茶店のようなところに寄って昼飯を食べたように思う。それからまた北陸鉄道に乗って、金沢に帰った。
金沢駅からアパートまで帰る途中で、そのころ自分が働いていた本屋に寄って、五木寛之の『内灘夫人』を買った。その日はアパートの部屋でその本を読んだのだが、これも何だかさびしい本であった。