立松和平編。林芙美子の紀行文が20編収められている。
紀行文を読むのがけっこう好きだ。旅先の風景や出来事を文章で追体験するというよりは、旅をする人の心を追っているのが好きなのだろう。
電車が来てるのに、接吻している長閑なのにも驚いたけれど、フランスの飯屋へ夕食でも食べに行こうものなら、あっちでも、こっちでも一口食べてはチュウと接吻し、一皿註文すると云っては首に手を巻いて頭を愛撫したり……私はなるべく見ないでいようと熱心に心がけていてもついうっとりと眺めてしまっている。(「皆知ってるよ」)
まるで茂吉のような観察力である。昭和7年のパリの光景。
ここで一番面白く見たものに、均一百貨店が沢山ある事でした。日本にもあるでしょうか? きっとまだ出来ていないと思います。一ツの街々にはかならず一軒はその百貨店があるのですけれど、プロレタリヤ階級にとってはなかなか便利です。この百貨店にはいると、六ペンス(約二十四銭)以上のものは絶対にないのです。六ペンス以下の商品ばかり。(「ひとり旅の記」)
これは昭和7年のロンドン。今で言う百円ショップみたいなものだろうか。日本でもこういう店を開いたら繁盛するだろうと書いている。先見の明あり?
啄木の唄った女のひとは昔小奴と云ったが、いまは近江じんさんと云って、角大という宿屋を営んでいた。新らしくて大きい旅館で、旧市街と新市街の間のようなところにあった。おじんさんは四十五歳だと云っていた。(「摩周湖紀行」)
昭和10年の釧路。啄木がかつて「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶なども忘れがたかり」と詠んだ女性である。歌の中だけで知っている人が、こうして実物で登場すると不思議な感じがする。しかも「おじんさん」という名前になって……。
林芙美子の文章はテンポがいい。心のリズムがそのまま文章のリズムになっているような、そんな筆づかいである。こういう文章は簡単に書けそうで、実は一番難しいのだと思う。
2003年6月13日、岩波文庫、700円。