その1を書いてから長いこと空いてしまった。
「四月十日」が出てくる文明の歌を挙げると次の通りになる。
四つ目通りに地図ひろげ茅場町さがしたりき四月の十日五十年前 『青南集』
国を出で五十七年の四月十日我より言ひて赤飯を食ふ 『続青南集』
七十年になるらむと思ふ四月十日過ぎたる後に独り言ひ出づ 『青南後集』
夕早く腹減れば食ふ物飲む物あり今日四月十日七十年 『青南後集』
つまり、文明の歌をずっと読んでいれば、年譜を見なくても「四月十日」という日は、文明が「国を出で」「茅場町をさがし」た日であることがわかる。そして、それは「赤飯を食ふ」ほど、文明にとって大切な記念日であったのだ。
年譜的なことを言えば、明治42(1909)年4月10日、18歳の文明は文学で身を立てようと志して上京し、本所茅場町の伊藤左千夫宅に身を寄せた。歌人土屋文明の出発点となった日である。
四月十日八十たびも近からむ次ぎて十三日年かさねゆく 『青南後集以後』
この歌についても、そうした文明の思いを汲んで読むことが、やはり必要なのではないだろうか。ちなみに「十三日」については、これは私にも何の日かわからず年譜で調べてみた。昭和57年4月13日、妻のテル子が93歳で亡くなった日であった。
おそらく亡くなるまでは、毎年一緒に「四月十日」を祝っていたのではないだろうか。けれど、もう喜びを分かち合う妻はこの世にいない。そう考えると、この歌からはしみじみとした寂しさが感じられるように思う。
作者の年譜を参照する・しないについては、どちらが良いと決められるものではないだろう。ただ、この歌の観賞においては、年譜的な事実を踏まえて読んだ方がはるかに歌の味わいが増すというのが、私の考えなのである。
2010年10月22日
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