中年男性の日々の思いが、苦みや断念を伴いながら一首一首の歌となっている。回想的な歌が多いのは年齢のためだけではなく、現代社会に対する批判的なまなざしを持っているからであろう。韜晦や自己戯画化や偽悪的な身振りを含んだ文体は作者の持ち味であるが、時には素直な歌を詠んでもいいのではないかという気もする。
「蓬莱屋」の二階座敷も煙草喫めず俺のつけたる焦げ跡も消ゆ
三頭の虎を高らかに連呼せし民族の冬も忘れられむとす
院生のウクライナより来たりしが会釈し書庫の静かなる宵
おいそこの学部長、寝てんぢやねえよとわが言はざれば静かなり会議
零すだらうきつと零すと懼(おそ)れつつ嗚呼こぼしたり机上の珈琲
箸をもてつまめばたやすく崩(く)えてゆく垂乳根ひろふ息つめながら
洟かめばかすかに混じる血の糸をいとほしむごと指もて触るる
いくたびか閉店セールをしてゐしが月かげあまねし「不思議堂」跡
死ぬ際まで飲みつづけしとふ牛乳の力かなしも子規の牛乳
過ぎし日のタイピストなるなりはひの燦然として朝の鱗雲
2010年7月30日、短歌研究社、3000円。