誰もゐぬあひだにお湯に入らむと下りゆくなり廊のながきを
まだ何かしてやれるなどと思ふらし息子を思ひてあがくわたしは
いつせいにのつぺらばうとなりにけり川の真中に花火があがる
交番のおまはりさんに遭ふやうなひまはり咲けり夕べの道に
自らを売る小犬をりペット屋に三割引の値札をつけて
浅草にふたまた大根祀るありふゆのゆふべをふたり来たりぬ
定年の辞令を受けしこの人はふたたびおなじやうに働く
鼻といふ漢字の部首は鼻部なりバカボンのパパの鼻のごとしも
しやくしやくと木(こ)の葉(は)丼(どんぶり)食むひとに奈良公園の冬は近づく
おほいなる石の上にぞ脱いでゐる下駄がありしかむかし日本に
歌集のタイトルについては、あとがきに「晩ごはんは、ひと日の締めくくりとして日常を如何に豊かに支えて来たことかと思います。思えば、家族が囲む晩ごはんは有り難い(あることが難しい)ものだったのです」と記されている。
池田さんと言えば、一昨年刊行された『歌人河野裕子が語る私の会った人びと』の聞き手として、河野さんの話を巧みに引き出していたのが印象的だった。この歌集にも次の一首がある。
風花が降り来るやうな語りくち小さな口の裕子さんなり
そして、河野さんもまた次のような歌を詠んでいたことを思い出す。
そんなこと言うたらあかん裕子さん池田はるみなら言ひくれるだらうだから電話はしない
角川「短歌」2010年5月号
2010年8月8日、青磁社、2800円。