先日、「井泉」2010年7月号を読んでいて、「あっ」と思った。〈リレー小論〉「今日の家族の歌」という欄に大辻隆弘さんが書いている「永遠の距離」という文章を読んで、である。
そこには柴生田稔の次のような歌が引かれていたのだ。
いぢめられに学校にゆく幼児(をさなご)を起こしやるべき時間になりぬ
柴生田稔『麦の庭』(昭和34年)
昭和21年、柴生田40歳、長男俊一7歳の頃の歌であるらしい。他にも
校庭に仲間外れにゐるわが子木陰より見下ろしてわれは立ちさる
土地の子にいぢめられつつ俊一が通ひし学校も食糧休暇なり
といった歌が引かれている。
花山作品が、先行する柴生田作品をどの程度意識していたのかはわからない。短歌表現における偶然の一致といったものはしばしば目にするからだ。
50年近い歳月が過ぎても、子を思う親の気持ちには共通するものがあるのだろう。そうしたことが見えてくるのも、短歌の面白さであるように思う。
2010年09月22日
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