春浅き大堰(おほゐ)の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る 栗木京子『水惑星』
角川短歌賞次席になった「二十歳の譜」の中の一首。栗木作品の中でもよく引かれる歌だ。
この歌の「大堰の水」とは何か。実は最近になるまであまり考えたことがなかった。それは、この歌のポイントが、何と言っても下句の「三人称にて」にあるからだろう。だから、「大堰の水」については、漠然と堰堤でせきとめられた湖のような所だろうと思っていたのである。
それが、最近、これが大堰川のことだと知って少し驚いた次第。栗木はこの自作について次のように記している。
大学生の時の歌です。京都の大堰川に遊びに行って友人とボートに乗っているひととき。
(…) 「NHK短歌」2008年4月号
大堰川とは「丹波山地から亀岡盆地を経て、京都盆地北西隅、嵐山の下へ流れ出る川。亀岡盆地と京都盆地の間は保津川ともいい、下流を桂川という。嵐山付近では平安時代、管弦の船を浮べて貴族が宴遊した。大井川」と、広辞苑にある。
つまり、あの嵐山の観光名所、渡月橋を流れている川のことだ。保津川も桂川もよく耳にする名前だが、それを大堰川と呼ぶことは知らなかった。確かにあの辺りでは、今でもよくボートに乗る人たちを見かける。
しかし、よく考えてみれば、この「二十歳の譜」は京都の学生生活を詠んだものであるし、『水惑星』の解説で高野公彦もこの歌を取り上げて「古都の川に…」と記しているのであった。
「大堰川」を「大堰の水」と呼ぶ用例について調べてみると、
漕ぎ乱す大堰の水や花見船 高浜虚子『五百句』
という句が見つかった。「昭和四年四月八日 渡月橋の上手より舟を傭(やと)ひて遡上。」とある。直接の本歌取りではないだろうが、栗木の歌の背景に、平安時代の貴族の管弦の船や、昭和初期の虚子の花見船をイメージしてみるのも面白い。
2010年07月22日
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