土屋文明の歌を読んでいると、いろいろと気になることが出てくる。
合歓の花の彼方の海に入らむ日や汽車とまり処(ど)に汽車とどまれり 『往還集』
という有名な歌がある。大正15(昭和元)年、新潟県の谷浜あたりで詠まれた歌だ。
「汽車とまり処」というのは駅のことであろうが、あまり聞かない言葉だ。古い言い方としては「停車場」の方が短歌でもはるかによく目にする。
ちょっと気になって調べてみたところ、文明の師伊藤左千夫の歌に
諏訪の海の片辺うづめて広らなる汽車とまりどは今成らんとす 『左千夫歌集』
という一首があった。明治37年、左千夫が中央本線に乗って甲信地方を旅した時の歌である。「諏訪の海」は、もちろん諏訪湖のことだろう。湖の一部を埋め立てて、そこに新しい駅を造ろうとしている場面のようだ。
左千夫の旅の翌年、明治38年には中央本線が延伸されて、富士見―岡谷間が開通している。その時に上諏訪駅、下諏訪駅などが開業しており、左千夫が詠ったのは、どうも上諏訪駅のことらしい。
今では駅から湖岸まで少し距離があるが、以前は諏訪市役所があるあたりも湖で、市役所近くの高島城も湖に突き出すように立っていたらしい。そのため、高島城の別名は「諏訪の浮城」と言う。
そう言えば、安土城もそうだ。今の安土城跡は「何でこんな所に?」という場所にあるが、干拓によって琵琶湖が遠のく前は、安土城も琵琶湖に面して立っていたのである。田んぼに水が張られた時期に安土山に登ってみると、そのことが非常によくわかる。
2010年07月18日
この記事へのコメント
コメントを書く