宮本が十五歳でふるさとを離れる際に父親から与えられたという十カ条の教えが印象深い。私は以前これを宮本の著作で読んで、各地を旅していた時期に自分自身の教えとしていた。
1、汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。
2、村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ上って見よ。
3、金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。
4、時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
(以下略)
宮本は単なる学者ではなく、離島や地域振興の実践家でもあった。短歌と民俗学というのは、全く関係ないようでいて、どこか似たようなところがあると感じる。宮本が撮影した写真について、著者は次のように書く。
十万点にものぼる宮本の厖大な写真のネガ袋には撮影年月日が記されていないものも決して少なくない。にもかかわらず宮本の写真に「日付」が強く感じられるのはなぜなのか。宮本は仮に石仏や民家を撮っても、決して「芸術写真」のように美しくは撮らなかったろう。「芸術写真」は見る者の心を一瞬感動させはするが、長くみていると撮った人間の作意が伝わってきて、興ざめになってくることがある。
この部分を読んで思い出したのは、小池光の『日々の思い出』のあとがきである。
「日々の思い出」で意識していたのは、たぶん、この「日付の写る写真」である。バカチョン写真機で、公園のベンチとか、電気のコンセントとか、金魚鉢にうつる子供の顔とか撮ってみたのだ。高級一眼レフで撮った〈芸術写真〉でない。この間〈芸術写真〉のはったりくさい感じがだんだんいやみにおもわれて来た。
ここには非常に共通した問題意識が述べられているように感じる。そして私も、ここにこそ短歌の可能性があるのだと思う。
2010年5月10日、ちくま文庫、950円。