『現代歌人文庫 清原日出夫歌集』(国文社・1980年)、『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房・1981年)、『現代短歌大辞典』(三省堂・2000年)など、短歌関係の本ではすべて1936(昭和11)年1月1日生まれとなっている。
しかし、どうもこれが違うらしい。
2004年6月6日に清原が亡くなった時の訃報を見ると、すべて1937年生まれの67歳となっているのだ。清原は長野県の企業局長や朝日放送顧問も務めた人物なので、その訃報が間違っているとも思えない。
「開放区」に野一色容子さんが連載している清原日出夫の評伝の中でも
なお、彼の生年は一九三七年(昭和一二年)が正しい。現代歌人文庫19『清原日出夫歌集』の裏表紙の年譜の生年は間違っている。
と、連載の初回で明確に指摘している。
では、なぜこんなズレが生じたのだろうか。真っ先に思い浮かんだのは友人でありライバルであった坂田博義との関係である。坂田は1937年1月22日生まれ。つまり坂田と清原は本当は同じ年の生まれということになる。それを嫌って1936年生まれを自称していたのではないか、と想像したのである。
しかし、どうもそれも違うらしい。
清原の第一歌集『流氷の季』のあとがきを見ると
ここにまとめた作品は、一九五八年から六三年、私の二十一歳から二十六歳までの期間に作られたものである。
と書かれている。計算すれば1937年生まれということになり、別にサバを読んではいない。
結局、国文社の『清原日出夫歌集』の誤記が、それ以降の本にも引き継がれてしまったということなのだろう。それにしても、不思議な気がする。