作中の「私」=作者といった短歌的な制約は、現代の文学的な状況の中にあっては逆に、表現が超越性や規範性を回復していくための、手がかりとなるものである。
だが、同じく男歌と女歌の一元化を、問題にしていた折口は、「文学化」しないことの中に、短歌の活路を見出していた。
ただしポストモダンが、モダンの一部でしかないことが示しているように、近代短歌を否定する前衛短歌が、それをのり越えることはできない。
現代短歌を和歌〜近代短歌〜前衛短歌という縦軸と小説・演劇など他ジャンルを含めた同時代の横軸によって分析していく手つきは鮮やかだ。しかし、あるべき短歌の姿を求めるあまり、現状の短歌に対する見方がやや一面的であったり、図式的に過ぎる点もあるように感じた。
2008年12月15日 ながらみ書房 2600円。