武装せるアメリカ兵に護られし天皇陛下の御車進む
/蘆田定文
という一首を挙げて「護られし」という言葉が問題になったのだろうと書いた。しかし、どうもそれだけではなかったらしい。
先日読んだ楠見朋彦『塚本邦雄の青春』に
『木槿』十二月号と一月号(1947年〜48年)で、天皇巡幸にふれられた歌は、占領軍からの削除の指示を受けている。
とあり、8首の歌が引かれている。つまり、天皇巡幸に関する歌は軒並み削除されているようなのだ。天皇が再び国民の信望を集めるようになることを危惧したのだろうか。
さらにもう一つ。
最初に引いた蘆田定文は尼崎の人であり、この歌は1947年6月の関西方面への巡行を詠んだ歌なのだが、この関西巡行は他の巡行と少し違っていたらしい。西川秀和編著『昭和天皇の全国巡行(第一巻全国編)』から写真のキャプションを引用する。
アメリカ軍兵士に護衛される昭和天皇
兵庫県 神戸市 昭和22年6月11日
関西巡行ではアメリカ軍による警戒が厳重を極めた。御行列が道路を通行する際、戦車や装甲車で前後を警護したり、銃剣を構えた部隊が警戒にあたったりした。今までの巡行とは違ってものものしい雰囲気であった。対敵諜報部に何らかの情報が入ったからだという。
「何らかの情報」というのはどんな情報だったのか気になるが、写真にも、帽子をあげて挨拶をする昭和天皇の横に、銃剣を構えたアメリカ兵が3人写っている。
ですから曖昧な表現になっています。
絶版になってしまったので上記のURLに写真は除いて詳しい情報を掲載することにしました。校正する前の原稿をもとにHPを作成しているので、本とは重複しない部分もあるかもしれません。
初めまして。コメントありがとうございます。「何らかの情報」のこと、よくわかりました。HPもご紹介いただき、感謝しています。
『昭和天皇の全国巡幸』は版元が倒産してしまったのですね。資料的な価値が非常に高い本だけに、残念です。今後ますますのご活躍をお祈りしております。